何気なくテレビを見ていたら凄い恰好が良い車のCMをやっていて、
『ついに日産がこのエンブレムを付けたか』
と思ってみていたらエンジンはメルセデスからもらったものらしいですね。
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なんか、やることが国内を向いてないなぁ、って痛感させられます。
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ってことで、最後まで伊原さんは伊原さんらしく、お辞めになられました。
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ニュース的には以下スポーツ報知より。
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西武は4日、伊原春樹監督(65)が成績不振の責任をとり、無期限休養すると発表した。西武Dで行われたDeNA戦後に緊急会見を開き、明らかにした。渡辺久信前監督(現シニアディレクター)に代わり、今季から11年ぶりに古巣の指揮を執ったが、故障者が相次ぎ、ここまで20勝33敗の最下位に低迷。3日夜に居郷球団社長に休養を申し入れたという。事実上の退任で、残り試合は田辺徳雄打撃コーチ(48)が監督代行を担う。
DeNAに1―0で勝利した試合後、伊原監督が断腸の思いを明かした。
休養を決断したのは、2点リードから9回に逆転負けした5月21日の巨人戦(西武D)だった。「僕の勝負運がない。一度、監督が身を引いたら、いい風が吹いてくる。それが一番いいと思った」。前日(3日)、居郷球団社長に休養を申し入れた。
昨年まで投打の主力だった片岡が巨人に、涌井がロッテにFA移籍。それでも、伊原監督は6年ぶりの覇権奪回を誓っていた。「優勝できると宣言したにもかかわらず、ファンの皆さまの期待を裏切って、西武創設以来の最下位を走っていた」。1979年、西武として最初のシーズンに臨んで以降、成績不振での監督休養は初。常勝軍団のプライドは傷ついていた。
中村が左背中の張りで開幕2軍スタート。坂田も左肩脱臼で長期離脱を余儀なくされた。当初の構想では4、5番だった2人のスラッガーを欠くと貧打にあえぎ、西鉄時代の68年以来、46年ぶりの本拠地開幕3連敗。苦難の船出だった。
以下、略。
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多分、これを聞いた5月21日の巨人戦で9回を投げた増田は
『俺が打たれたせいで監督が辞めた』
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って思うでしょう。
既に負け越しが13もある状態で『この試合で辞任を決めた』
なんて格好いいことを言う必要はありません。
『監督として責任を感じて辞めた』
って一言で良いのです。
じゃああの試合を増田が抑えて、負け越しが12だったら辞任しないつもりだったのでしょうか?
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伊原に勝負運がないのは一次政権時代から分かっていたこと。
なぜ伊原を登用させたのか、全く不明でした。
ナベQから伊原は明らかに逆行するのに、フロントの責任は重いと思います。
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まぁ、でもこれで少しは良くなるでしょう。
オールスターくらいで辞めてくれるかと思っていたので
少し決断が早くて助かりました。
後任は青ひげ田辺です。
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現役時代は一塁側指定席で『恐怖の九番打者、田辺徳雄』と書いた
のぼり旗を振っているおじさんがいました。
現役時代の最後を巨人で終えたのは残念でしたが是非、頑張ってもらいたいです。